雪のイブ

*堂郁(恋人期)

クリスマス話です。

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堂上は小さく息を吐き捨て、ハンドルに添えた左手首の時計に目をやった。
もう何度目になるだろうか。前回目にした位置から針はいかほども動いてはいないが、少しずつ、しかし確実にリミットが迫っていることは間違いない。

数時間前いきなり降り出した雪は一時視界が危うくなるほどにまで勢いを増したが、今は落ち着きはらはらとフロントガラスの向こう側を舞っている。隣に座る郁は窓の外を眺めては運転席の堂上の様子を伺うという事を交互に繰り返していたが、突然の雪に輝かせていた顔は少しずつ曇り、堂上に向ける顔も不安の色が濃くなってきている。
不安というより心配か。

「寒くないか」
「はい、大丈夫です」

いくら密閉された車内とはいえ、外は車に乗り込んだ時よりもかなり気温が下がっているはずだ。僅かにエアコンの設定温度を上げてハンドルに手を置き、堂上は再び前方に視線を戻した。
延々と続くテールランプの列に所々ハザードが点滅するのが見える。ピクリとも動かないとは言わないが数十センチ進んではまた止まる、目にするのは依然全く変わらぬ風景だ。

不可抗力の渋滞に苛付くようでは特殊部隊の班長など務まらないが今日は少し事情が違う。ずっと堂上の脳裏を占めているのは数カ月も前に予約をしたこれから郁と訪れる予定のレストランだった。

自分があまり女性を喜ばせる事に長けていない事は自覚しているし、クリスマスイブくらいは奮発するのも良かろうと人気のフレンチレストランを予約した。数カ月前にも関わらず既に予約はいっぱいで、何度かキャンセルが入っていないか連絡をした後ようやく空きにありつけたのだった。

郁には店の名前は告げず決めてあるとだけ言ったが、楽しみにしてますと綻ばせた郁の笑顔が可愛らしくて、それだけでも苦労をした甲斐があったというものだ。
当日たまたまか誰ぞの策略か、堂上班は公休日となり、朝から遠出をして都外の大規模なイルミネーションを見に繰り出すこととなった。人でごった返すことも考慮して充分余裕を見て現地を出発したものの、不運にも堂上達はこうして高速上で立ち往生をくらっているのである。

冬とは思えない暖かな気候が一転、降り出した雪でのスリップ事故らしき渋滞に巻き込まれたのは高速の降口を過ぎたばかりでそこからさっぱり動かなくなった。のろのろと動き出したとはいえ次の降口まではまだ少しあるし、下道を通れば到底間に合わない時間だ。

前方を伺うように視線をやり、さりげなく手元の時計をチェックする。もう諦めるしかないか。連絡するなら早めにしないと店側にも迷惑がかかる。郁に気付かれないように右側に顔を背け、堂上は小さく溜息をついた。



運転席から小さく息を吐く音が聞こえた。車内に流れるBGMにほとんど掻き消されているが先ほどから堂上の様子を伺っていた郁にとっては気付くことなどたやすい。

長時間の運転で疲れたのだろうか、やはりこの渋滞では精神的な疲れのほうが大きいか。
いや、堂上の部下としてずっとその指揮を見てきた郁としては堂上がこの程度で参るほどの鍛え方をしていないことは知っている。そして渋滞ごときで苛々する程の精神力ではないことも。

おそらくこの先のことを懸念しているせいなのだろう、郁の為に。
普通に交際している男女にとってクリスマスイブはやはり特別なイベントだ。店の名前は聞いていないがいつもより少しいい店を予約したからと告げられた時は、堂上も自分とのクリスマスイブを少なからず特別に考えてくれていたのだとそれだけで嬉しくなった。

自分の大切な人が自分との聖なる夜を特別に思ってくれている。それだけで十分過ぎるほど幸せだ。
だが、今はそのことが堂上を悩ませている。自分はもう既に幸せ、でも自分の為に尽力してくれている堂上にもういいですとも言えず、郁は堂上の横顔からサイドガラスの外へと視線を移した。



空から落ちる雪が強めの風に煽られて車のまわりを踊っている。都心からさほど離れているわけではないのに明かりはまばらにしか見えず、舞い上がる雪とともに車ごと暗闇に浮かんでいるような錯覚すら覚える。

「綺麗ですね」
「雪がか?」

降り出した雪を見てはしゃぎ堂上に呆れられたことを郁は思い出した。イナカ育ちだけど実家を出てからはほとんど雪を見てないんですーとむくれて言い返したことも。ほんの数刻前の出来事のはずなのに遠く懐かしい記憶のような気もする。

「外は真っ暗で真っ白な雪がぐるぐる回ってて。あたしと教官の二人だけみたいでなんか幻想的」

幸せな気分ですねと呟いてから郁を見つめる堂上に気が付き、急激に顔に血が集まった。

―――あたし発想が子供っぽい?てか乙女過ぎ??

何だかとっても痒いことを言ってしまったような気がする。ホ、ホラ雪で前の車のランプとかもぼんやりしてて、イルミネーションっぽくないですか?などと付け足してみたが、堂上の顔は元には戻らずいつの間にか頭の上に乗せられていた大きな手が郁の髪を優しく撫でた。
目を細めて微笑むと壊れ物を扱うような仕草でゆっくりと手の重みが減っていく。

「悪いな、ディナーはキャンセルだ」

はいと郁が顔をあげた時には堂上の表情は任務中のそれに代わっていた。教官のせいじゃないですと言うのが精一杯で、口を開くことすら憚られる。
車がのろのろと動きだしたタイミングで普段の堂上の運転からは考えられない程強引に車線を変更し、次の出口で高速を降りた。



ここがどの辺りなのか郁にはさっぱり分からないし、堂上にとっても土地勘のある場所ではなさそうだ。国道を走るうちに次第に店の明かりが多くなり、とある全国チェーンのファーストフード店で堂上は車を止めた。

「電話をしてくるからちょっと待っててくれ」

そう言って堂上は携帯を片手に車を降りていった。おそらく今日訪れる予定だった店に断りの電話を入れているのだろう。電話口では見えるはずもないのに軽く頭を下げる堂上から店先に立っているメガネをかけたおじさんの人形へと郁は視線を移す。
いつもは白いスーツに身を包む彼も今日はサンタクロースの衣装を着せられていた。ガラス張りの店内では親子連れが店員から注文した品物を受け取っているところだった。

「外はかなり冷えるな。買ってくるから中で待ってるか」
「いえ、あたしも行きます」

戻ってきた堂上にそう言うなり郁はドアを勢い良く開けて飛び出した。
自動ドアをくぐったところで先ほどの親子とすれ違う。大きな箱を嬉しそうに抱えた子供に母親が気を付けるように注意している。足を止めた郁を振り返った堂上にあたしもあれがいいですと告げると一瞬ぎょっとされたが、すぐにその顔は笑顔に変わった。



調達した品が動かないようしっかり後部座席に置いて次に向かった先はこれまたサンタの衣装を着せられた女の子が舌を出している全国チェーンの菓子屋で、今度はさっきの店以上に注意深く箱を固定して、車は再再度出発した。



結局雪が激しく降ったのは事故が起こった前後のみだったようでその後は、変わらぬ調子でしんしんと降り続けていた。積もるだろうか。今は真っ暗な視界がだんだんと真っ白な世界に変えられてゆくのも幻想的だ。そんなことを考えながらも今度は口に出さずに郁は温かいチキンにかぶりついた。
隣で同じようにチキンをほおばる堂上と目が合い思わず吹き出してしまう。郁の提案にぎょっとしたはずの堂上もやはり戦闘職種な訳で、大家族向けのクリスマス限定パーティーパックはみるみるうちに減ってゆく。

「すまなかったな」
「もう、教官のせいじゃないのに謝らないで下さい」

そもそも不可抗力なので謝ることではないのだが堂上としては治まらないらしい。

「あたし、とっても幸せですよ」

有名レストランでディナーも素敵だけど、雪に囲まれた二人だけの空間で過ごすクリスマスもまた特別。

「とっても素敵」

痒い乙女思考はカットして告げたのになぜか伝わったようで、お前には負けると相好が崩れた。ぽんと郁の頭に手が乗ると同時に真顔になった堂上の顔がゆっくりと近付いてくる。
目を閉じてから自分がついさっきまで油たっぷりのチキンを食べていたことが脳裏に蘇る。

「お、おなか一杯になってきちゃいましたね!やっぱりパーティーパックは多かったかなぁ……」

いきなり遮られて訝しげな堂上をよそに、郁は店員が一緒に入れてくれた紙ナプキンを取り出し慌てて口元を拭う。

「まだホールケーキもあるんだぞ」
「大丈夫です。ケーキは別腹ですから」

女ってやつはと堂上は苦笑して郁の髪を撫で、そっと唇を重ねた。

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終わりです。
しょぼいクリスマスを遅らせてごめんなさい。二人ならきっと何でも幸せだろうなって思ったので。