梅桃桜〜桜雲〜

*堂郁(別冊1頃)

郁ちゃんと堂上教官の一味違うお花見です。

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「うっわああぁぁぁー……」

開けっ放しの口を閉じるのも忘れて、しばらく郁はその場に突っ立っていた。

目の前に広がるのは見渡す限り一面の淡いピンク色――ひと目十万本はあるかのような桜の海だ。

「すご……」
「苦労して出張って来た甲斐あったな」
「ホント、こんな所あるんですねー」

思わず駆け出した郁にようやく堂上も追い付き、足を止めて目を細めている。

まさに絶景としか言いようのない見事さだが、見とれているのは二人だけだ。
この時期、桜の綺麗な場所といえばどこも人で溢れているというのに何故こんな穴場が穴場のままで残っているかというと、理由はただ一つ。

そこへ誰も来ないのではなく、来たくとも来れない場所だから。

一応関東に属するその場所は、地図上の直線距離ではさほど基地から遠くないものの、険しい山々に囲まれ、道路もろくに整備されていない。
カップルのデートや家族連れのハイキングで訪れるなど言語道断だが、かと言ってベテランが憧れて目指すような高度の高い山でもない。

ただ奥深く延々と獣道が続き、しかも所々コンパスが役に立たず迷い易い。

当然ほとんど人が立ち入らず、行程の中ほどから人っ子ひとりすれ違わなかった。

郁達も訓練の時より軽めの装備にも関わらず、かなりキツかった。
ひそかにテント持参で出直してくるべきかと堂上は一人考えたほどだ。

だが、やっとの事でたどり着いて見たそれは圧巻で、しばらく二人とも無言のまま立ち尽くしていた。

程なく顔を見合わせ、神秘的とも言える澄んだ空気を壊さないように静かに微笑んだ。

「ぼーっと見とれちゃいましたね」
「あぁ、さすがの迫力だな」

想像以上の景色に圧倒されたのか、言葉少なに再び桜雲に向き直った郁の瞳に堂上は吸い寄せられた。

少し薄目の茶色だったその瞳には一面の桜が映り込み、桜色になっている。
その瞳を覗き込むように堂上が顔を近付けると、郁の頬まで同じ色に染まった。

淡いピンクの中央には自分が像を結ぶ。

「あっ……つしさんっ、桜!見ないんですかっ」
「ん?見えてるぞ」

照れ臭いのか視線を反らそうとする郁の細い腰を抱き寄せ、じっくりと黒目の中の桜を愛でる。
至近距離に堪え切れなくなったのか、郁がぎゅっと目をつぶったので堂上はかわいらしい唇に軽く口付けてやった。

「どうした?目を閉じたら見えないだろ?」
「篤さんが顔近付けるからっ……そんなに近かったら見えるわけないじゃないですかっ」
「見える。郁の目に映ってるからな」

そのまま幾つもキスを落として更に深いものへと移行する。

このままここに郁を閉じ込めて、他の男など目に入らない人里離れたこの桜色の園で二人永遠に暮らそうか。
そんな倒錯した考えが頭を過ぎったのは、古来よりまことしやかに伝えられるように桜に不可思議な力が宿るせいなのだろうか。

「ちょっ……篤さっ…ん、もう…ダメっ」

そんな郁の声はすでに熱っぽく艶を帯び、余計に堂上の感情を高ぶらせるだけで、もう自制が効かないと上着の裾から手をさし入れ郁の滑らかな素肌を撫でる。

何とか堂上を押し返そうと郁が手にいっそう力を込めたその時、二人の間に至極間抜けな音が響き渡った。

ぐぐー――――っきゅるきゅるきゅる……

同時に鳴ったらしい互いの腹の音に、二人は思わず吹き出した。

「お腹空きましたね」
「ああ、飯にするか」

寮の朝食より遥かに早い時間に出発したので、食事いえば行き掛けのコンビニで調達したものを車で手早く胃に納めた切りだった。
道中で適宜糖分は補給していたものの、ハードな行程ですっかり消費してしまったらしい。

何とも情けないタイミングだったが、このままでは嫌がる郁を押し倒してコトに及んでしまったかも知れないと、堂上は自身の腹の虫を恨みつつも感謝したのだった。

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終わりです。

始めは普通に桜の名所を訪れるつもりが何故かこんな展開になりました。