いい夫婦の日と勤労感謝の日

*堂郁(結婚後)

いい夫婦の日(&勤労感謝の日)突発SSです。

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「おう笠原、今帰りか」

一日の仕事を終え一人官舎にへ帰るべく事務室を出たところで野太い声に呼び止められた。郁が振り返ると玄田が緒形とともにいかつい体躯を揺らしながらこちらへ歩いてくるのが見える。
堂上は書類の山に埋もれ残業を余儀なくされているので、郁が先に官舎に戻って夕食の支度をする寸法である。

「ダンナは残業か、せっかくの公休前なんだからメシにでも連れてってやりゃいいもんを無粋な奴だな」

そう言って玄田は郁の肩を豪快に叩く。
それを可能にするには堂上よりも残業の根源たる玄田自身に何とかして貰わねばならないのだが、その言葉をそのままストレートにぶつける訳にもいかず、郁は仕事ですからと無難に切り返すに留めた。

「まぁ、夫婦水入らずでゆっくりするのも一興だな」

意味ありげに顎を撫でつつそう言った玄田は、緒形が先に事務室へ戻るのを見届けてから反対側の壁際に郁を引き込んだ。

「おい、今日と明日は何の日か知っとるか?」
「えっと、明日は勤労感謝の日で祝日ですよね、今日は……」

固定休でない特殊訓練では曜日や祭日の感覚が薄いが今日は世間一般も休みではない、平日だ。

「今日は『いい夫婦』の日、だ」
「あ、そう言えばそうでしたね」

言われてみればそんな単語をどこかで聞いたと朧げながら思い出したが、それよりも玄田の風貌と『いい夫婦』という響きのそぐわなさにうっかり笑ってしまいそうになる。

「で、その二つの日が連なっているのが何故か知ってるか?」
「は?」

質問に気を取られたことで噴き出さずには済んだが、肝腎の答えは出てこない。
『勤労感謝の日』は元々収穫祭のようなもので旧暦の卯の日から来ている。一方、『いい夫婦の日』は語呂合わせだから連続しているのは単なる偶然としか思えない。

さっぱり要領を得ない郁に玄田は声のトーンをより下げて何やらごにょごにょと囁いた。

「……でな、夫婦で………で、………するんだと」
「えっ、その為に………が………なんですか?」
「そうだ、そんで次の祝日に………するっちゅうワケだ」
「そ、そんな……本当なんですか!?」

俄かには信じ難いとうろたえた顔の郁に玄田はにやりと口角を吊り上げる。

「政府がそんなモン公式に決めてるわきゃないが、世間の俗説っちゅうか、慣例てとこだ」
「どこもそうなんですか?」
「まぁ、よほど険悪な夫婦じゃなきゃそうだろうな」

無理するこたぁないぞと今更フォローに回る玄田の声はほとんど届かず、郁は挨拶もそこそこに帰路に着いたのであった。



隊長に押し付けられた書類を何とか片付け、堂上は自宅で妻の手料理を食していた。その妻である郁は新婚当初こそ危なっかしい手つきで堂上の肝を冷えさせたものの、今は一通りの献立ならこなせるようになっている。

他愛ない雑談とともに食事は進む。いつもと変わりない光景だ。たまには喧嘩をして気まずい空気のまま飯を掻き込む事もあるが、概ね夫婦仲は良好といって差し支えないだろう。

だが、食事が終盤に差し掛かる頃、郁の様子がいつもと違ってきた。時折考え込んだり落ち着かない様子だったり、話があまり頭に入ってない事もあるようだ。
どうかしたかと問うても、何でもない、大丈夫だとの一点張りである。

結局謎は解けないままに食事を終え、釈然としないまま堂上が風呂から上がると郁の姿が見えない。キッチンやリビングを覗いてもいなかったから残りは寝室だ。
疲れているのだろうか。勤務中はそんなそぶりは見せなかったから無理をして気分が悪くなっているのかと心配になり、堂上は寝室のドアをそっと開けた。

郁はそこにいた。
といっても具合が悪そうでも先に休んでいるわけでもなかった。

状況が理解できず寝室の入口で立ち尽くしたままの堂上をちらりと見上げてすぐに顔を伏せた。ベッドに正座、三つ指を付いた姿勢で。

「ふ、ふつつかものですが何卒宜しくお願いしますっ」

恭しく頭を下げるつもりだったようだが、郁は勢い余って布団に顔を突っ込んだところで固まっている。

結婚してもう半年は経つかという自分達だが世間ではまだまだ新婚だし、人並み以上に初々しい郁の振る舞いも薄れる様子がない。

その初々しい新妻がベッドに正座で三つ指、である。誰がどう見ても夜のお出迎えだろう。

男として喜ばしいこと限りないシチュエーションだが、逸る気持ちを心の奥底に押さえつけて堂上は静かに郁の隣に腰掛けた。

「郁」

できるだけ柔らかく声をかけたつもりだったが、それでも郁の肩が強張る。

例えこの状況を失うことにになろうとも、普段の郁からは掛け離れた挙動を見ない振りをして甘い誘惑に流される事など堂上にはできなかった。

そっと郁の頭に手をやって柔らかな髪の上を滑らせる。おずおずと顔を上げた郁の額には先程の勢いか、前髪が乱れ張り付いていた。ゆっくりと後ろへ払ってそのまま優しく梳いてやると硬かった表情が和らいで不思議そうな顔に変わる。
それ以上触れない事を訝しがっているのか。

さっきよりも更に声色を努めて和らげ、堂上は愛しい妻に問いかけた。

「何があったのか話してみろ」
「……あの、あたしは大丈夫ですから。覚悟は出来てます!」

ますます話が噛み合わない。

「覚悟って」
「慣れてないし、その、知識も無いし……でも頑張って御奉仕しますから!!」
「奉仕……って何の話だ」

郁の口からこぼれた思いも寄らない単語に堂上の胸の内でずっとくすぶっていた疑問がつい口をついて出た。

「誰に何を吹き込まれた」



「え?」

帰り際に玄田から聞かされた話と随分違う展開に戸惑っていたところへの堂上の言葉に郁は戸惑いを隠せなかった。
始めは経験のない郁に気を使ってくれているのだとばかり思っていたが、どうも話がおかしい。

「今日は『いい夫婦の日』で、明日は『勤労感謝の日』ですよね」
「そうだな、で」

やはり何か違う。
誰でも知っている話なのに堂上のこの反応は、どう考えても知らない人の反応だ。

「あの、夫婦仲を深める為に今日はお互い御奉仕して、その“勤労”をゆっくり癒す為に次の日は祝日になってるんじゃないんですか」

がっくりと全身の力が抜けてゆく気がした。
悪い方へ予想を裏切られたのではなかったのが唯一の救いだが、それでも夫婦まとめておもちゃにされた感はどうも否めない。

「……全くあの連中は」

事の次第を聞き終えて堂上は崩れるようにベッドへと仰向けに倒れこんだ。
そのテの話に疎い郁をからかって遊ぶにも程がある。

世間一般でそのような慣習は全くない事、あったとしても郁にその気がないなら無理強いするつもりはない事、を説明してようやく郁は安心した顔を見せた。
脱力したようで堂上の隣に寝転がる。

「金輪際特殊部隊のヤツらの言う事は信じるな」
「隊長でも、ですか?」

まさか事の発端が玄田だとは思っていなかったらしい。ぎょっとした顔を見せて一言つぶやいた。

「一人で考える前に俺に話をしてくれ」

郁がはいと短く答えるとがしがしと乱暴に頭を撫でられた。顔を見合わせてそのまま軽くキスをする。


結局玄田の偽俗説通りの二日間になったかどうかは二人しか知らない。

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終わりです。