カミツレショコラ/前編

*堂郁(夫婦)(手柴夫婦・小毬恋人)中編に手柴要素有ります。

バレンタインにまつわる一つのから騒ぎ。
郁と柴崎の結婚後の呼称は、夫婦間→名前呼び、他→旧姓呼び、三人称→郁、柴崎としています。

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――しっしまったぁーーー!あたしの馬鹿!!
何でよりによって――

「俺は三正に降格した覚えはないんだがな、郁」

時すでに遅し。
携帯を折らんばかりに握り締めて胸中で絶叫していた郁の背中に堂上の冷ややかな声が突き刺さる。

「俺はいいからそのどこぞの三正に手ずから渡してやればどうだ」

背後でコトリと小さな物音がする。先程郁が渡した小箱を机に置いた音であることは確認するまでもない。

「篤さん違うんです、これは」
「違うものか、昼間は柴崎の家に行くと聞いていたが、奴は今日出勤だったそうじゃないか」
「そ、それは!待って下さい、話聞いてってば」

郁の訴えも空しく堂上はくるりと背を向けてリビングを出ていってしまった。言い訳無用、ということらしい。

ぱたりと閉まった扉を見つめて郁はため息を付いた。

――何でこんなことに!?

堂上に喜んで貰う為計画を練って用意したその小さな箱に視線を落として、郁は本来それを渡すはずだった相手とそこにあるであろう入れ違った品物を思い浮かべた。



事の始まりは数日前。
館内警備中に家政コーナーで毬江の姿を見かけた所へ遡る。

「こんにちは毬江ちゃん、小牧教官ならもうすぐ休憩だから声掛けてこようか?」

郁の姿を見付けた毬絵はぺこりと頭を下げたが郁の質問にはかぶりを振った。普段と違う反応の訳は抱え込まれた数冊の本に示されている。

「そっかもうすぐバレンタインだもんね」

毬江の腕の中の手作り菓子の本に目をやって委細承知とばかり郁がそう言うと、毬江は顔を赤らめて頷いた。内緒にするつもりだから小牧に知られたくないのだろう。

『でも家だと母経由でばれちゃいそうなんです』
「あー、小牧教官のお母さんと毬江ちゃんのお母さん、仲良いんだったよねぇ」

図書館ではいつもそうするように、毬江は携帯を取り出して素早くボタンを打っていった。表示された文面を見て郁も毬江と一緒に首を捻る。

確かに毬江の家と小牧の家は近所で親同士も仲が良いと聞いている。口止めしても何気ない世間話から漏れてしまうかも知れない。

「じゃああたしの家でやればどうかな」
『いいんですか?』
「ダメよそんなの」

誘ったそばからの否定の言葉に驚いて毬江と顔を見合わせた。最後のセリフは断じて郁ではない。

「あんた達夫婦が小牧教官に隠し事しようなんて愚行もいいとこよね、毬江ちゃんのことなら小牧教官は気付いても知らないフリしてくれそうだけど」

ちゃんと隠したいならあんたん家は駄目ね、といつの間にやら背後では郁の同期の手塚が大仰に肩をすくめていた。と言っても妻の方の手塚麻子、旧姓柴崎であるが。

「柴崎いつの間にっ」
「ついさっきだけど話聞いちゃってごめんなさいね、こんなところで声張って密談してるだなんて思わなくて」

そう言われて郁は弾かれたように辺りを振り返った。別バディの小牧はともかく、バディの堂上はすぐそこにいてもおかしくない。

「大丈夫よ、小牧教官と手塚はさっき館外に出てったし堂上教官は離れたとこで利用者に捕まってたから」

千里眼のごとく堂上班の配置を把握する柴崎に内心恐々とするが、それはどうしようもないのでひとまず置いておいて郁は話を戻した。

「でもあたしん家もダメ、毬江ちゃん家もダメ、っていうんじゃ」
「じゃあうちでやれば?」

にっこりと笑う柴崎は今日ももれなく美しい。

「うちなら一通りの調理器具はあるし食材も前以て買い置きしとけるわよ、それに手塚なら少々言動怪しくてもあんたと毬江ちゃん絡みだとはすぐ結び付かないだろうし」

確かにこれ以上ない好条件だ。
ただ、一つ肝心要の柴崎に問題があることを郁は知っている。

「でも麻子とあたし公休日合わないじゃない」

バレンタイン当日まで郁と柴崎の双方が公休日に当たる日は無かったはずだ。大学生の毬江が時間を融通してくれてもこれでは無理だ。

「手塚がいるから大丈夫でしょ、別にお互い気使うような仲でもないし」

確かに郁の公休日は当然同班の手塚も休みである。

「バレンタインの前日なら一日家にいるって言ってたけど、何なら鍵だけ開けさせて出かけて貰ってもいいし」
「いや流石にそれは悪いし」

いかに付き合いの長い同期同班と言えど、家主を追い出すのは流石に気が引ける。
結局、手塚の了承が貰えるならとの条件付きで、郁と毬江は柴崎の好意に甘え手塚家のキッチンを借りる事にしたのだった。



「手塚、今日はありがとうね」

整然と物が並ぶ手塚家らしいキッチンを元通り綺麗に片付け、郁と毬江は半日を付き合わせた家主に礼を言った。

「いや俺は何もしてないし」

ずっとリビングにいたしなと付け足して、手塚はラッピング済みの完成品に目を落として感心したようにしげしげと呟く。

「それにしてもお前が菓子作りとはな」
「あんた初めはあたしが爆発でも起こすんじゃないかってくらい不審そうな顔してたもんね」
「途中まではマジでそう思ってたけどな」
「何だって!?」

躊躇いなく言い放った手塚に表出るかこの野郎といつもの調子で郁が噛み付くと、耐え切れなかったらしい毬江に隣で吹き出された。毬江の前では余り荒っぽい事はできないと掴みかかるのは我慢しておく。



バレンタイン前日、内緒の菓子作りは大方の予想を裏切って順調だった。堂上に隠れて穴が空くほどレシピを見つめた郁の努力が功を奏したのかもしれない。

最初のうちは郁達、と言うより郁が何かやらかして毬江に被害を及ぼさないかと心配してリビングから何度も顔を出した手塚も、危険はないと判断したのか、半ばほどからはほとんど様子を見に来なくなった。

普段から菓子作りをしているらしい毬江のものと比べると味は多少劣るが、結婚前の悪評からすれば郁の方も上出来である。

――篤さん、喜んでくれるかな。

期待を込めてかけたリボンが折れないよう、郁はそっと持参した紙袋に箱をしまう。

売り言葉に買い言葉で台なしになってしまったので、改めて手塚に礼を言って郁達は手塚家を後にし、官舎を出たところで毬江と別れた。小牧と毬絵は明日会う約束らしい。
毬江のケーキなら小牧もきっと喜ぶだろう、毬江の作るものなら何だって喜ぶだろうが。

――あたしだって結構頑張ったし。

自宅で試作できないのがネックだったが、その分慎重に丁寧に作り予想以上の仕上がりになった。少々の腕の悪さは得意分野でカバーとアイディアも込めた。

何もかも順調である。順調過ぎるほどだった。

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続きます。→中編