指先に咲く

*堂郁(新婚設定)

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「教官、申請書類上がりました」
「そこに置いとけ」

そちらを振り返る余裕もない堂上を気遣ってか、郁は机の傍らに静かに書類を置いて去る。淡い桜色の指先が堂上の視界を一瞬だけ掠めていった。

数日隊を不在にしただけだというのに堂上の机上に置かれた書類は数倍にも膨れ上がっていた。
「お前が留守の間くらい書類は自分で処理する」との珍しい玄田のセリフを出立前に聞いた気がするのだが、それはあっさりと反古にされたらしい。

新婚休暇は隊則で定められた権利とは言え、班員が半分揃って抜けるのだから隊内でシフトなど色々都合もつけて貰っている。帰ってきた後はフォローすべきだとは堂上も思っていたが、これはその範疇をかなり超えている。
フォローなんざ気にするなという玄田流の計らいか、いやそんな粋なものではなくいつも通りのただの丸投げだろう。

――あのおっさんが自発的に書類に向かうとか僅かでも思った俺が馬鹿だった、という事か。

あまり愉快ではない結論が出たところで堂上は先程郁が置いていった書類を手元に引き寄せた。見慣れた何の変哲もない紙切れに先程見た手の残像が重なる。
いつもとは異なる彩られた指先、と言っても今日日の若い女性の中では地味な部類に入るのだろうが、郁の白い手に良く似合う細やかな装飾の施された爪を思い浮かべた。


遡ること数週間前。結婚式を予定している式場へ堂上と郁は連れだって幾度目かの足を運んだ。

経験がないのだから当然と言えば当然だが、毎度次から次へと見慣れない物に聞き慣れない単語の連続に戸惑わされる。そろそろ慣れた頃かと思っていたが、目の前に開かれたカタログはまた堂上の理解を超えたシロモノだった。

ページを埋め尽くすのはゴテゴテキラキラと目に痛い玩具のような物体で、隅に書かれた英文の「NAIL」の文字から辛うじて爪関連のファッションアイテムであることが推察できる。女性の爪と言えばマニキュア、程度の知識しかない堂上がブライダル用ネイルのサンプルデザインである事を理解するには暫くの時間を要した。

「こちらが一番人気のデザインになります、御希望があれば何でもおっしゃってくださいねー」

向かいの席からにこやかに笑いかけるネイリスト、これは後から郁に教えられた名称だが、とは裏腹に傍らの郁は意外にも渋い顔をしている。

「うーん……戦と、いえ職場の関係でネイルはできないんです」
「あ、そうなんですねー、お仕事で爪を伸ばせない方向けのデザインもございますよー」

そう言いながらネイリストは色んなものがくっついた指先で器用にページをめくる。示されたページに載せられた写真は確かに始めのものよりは随分控えめであった。が、『それなり』に短い爪で『それなり』に派手ではない、という程度で特殊部隊の訓練や実戦に差し支えないレベルには遠く及ばない。
こういった場所で戦闘職種の事情にまで配慮せよという方が無茶なのだろうが、郁が選びうる選択肢がそのページに存在しないのは明らかだった。
うーんと小さくうなったきり、郁は眉根を寄せて黙り込んでしまう。迷っているのは聞くまでもない。
そもそもしたくない事であれば迷うことはない訳で、迷っているのはしたいのにできないからである。

「好きなもんにすればいいだろう」
「でも、一日で取らなきゃらないのに」

もったいない、と口には出さなくとも郁の顔にそう書いてあった。

「そんな事言い出したら式自体丸ごと全部そうじゃないのか」
「それはそう、なんですけど……」

立ち直るどころか余計沈んだ表情になった郁に逃げ口上を塞ぐつもりだった自分の言葉がいささかデリカシーに欠けていたことに気付く。

――そんなことを言うつもりじゃなかったんだが。

戦闘職種であるが故に年頃の女性なら当たり前の楽しみを悉く我慢している郁だからこそ、好きなようにさせてやりたかっただけだ。しかし、その言葉をストレートに口に出すのは憚られ、堂上は言葉に詰まる。

「一日限定でも思い出はずっと残りますからー、一生に一度のことですし。すぐ落とすならって思い切ってゴージャスになさる方も多いんですよ」

気まずい空気の二人を取り繕うかのように笑顔二割増しでフォローに入ったネイリストに感謝しつつ、堂上はカタログのページをわしづかみにして最初の目に優しくないページを開いた。

「どうせならこれくらい行っとけ」
「やっそれはさすがに、この辺なら……」

堂上の提案に慄いてようやく郁はカタログに手を伸ばす。一番派手なやつにしろなどと心にもない煽りを入れつつ、カタログとにらめっこを始めた郁を見てこっそり胸を撫で下ろした堂上だった。


結局、式当日の郁の指先にはピンクと白を基調に花やらリボンやらをあしらった、派手過ぎず地味過ぎずそこそこ華やかなデザインが施されていた。打ち合わせではつけ爪にする案も出されたものの、「ある程度慣れた方でないと引っ掻けたりするかも知れません」との言葉に二人揃って即却下と相成った。

――それでもいつもと勝手が違うみたいだったがな。

ネイルの打ち合わせから式でのウエディングドレス姿の郁に思いを馳せつつ、堂上は官舎への短い家路を歩いていた。翌日玄田に突き返す分だけを選り分け残りの書類の山にはあっさり見切りを付けての退庁である。

――結婚したての男が妻の待つ家へ早く帰りたいと願って何が悪い。

特殊部隊事務室を出る際咎められなどしなかったが、薄暗くなった空を見上げ誰に向けるでもなく独りごちた。


結婚式当日、爪の長さは変わらずともやはり装飾が気になるのか、郁の手元はいつも以上に危なっかしかった。プロが事細かに気配りしてくれる式披露宴はともかく、二次会三次会ではどんな迂闊をやらかすか見ていられずに、「もういいお前は何もするな!」と上げ膳据え膳で堂上が世話を焼く羽目になった。
当然特殊部隊の面々からは野次も茶々も飛びまくり、タガの外れた連中が引き起こした思い出したくないアレコレにまでうっかり回想が及びそうになり、断ち切ろうと官舎の階段を駆け上がって自宅へと到着した。

「おかえりなさい、早かったね」
「書類は放り出してきてやったからな」

まだ慣れない様子で堂上を出迎えた郁は少し意外そうな表情をしていた。机の書類の高さからそれなりに遅くなると踏んでいた為だろう。

「第一あの量おかしいだろう、あのおっさん、いつも以上にさぼってたに決まってる」
「隊長をおっさんとか」
「家で奥さんに上司の愚痴吐く時くらいいいだろ」

苦笑する郁に上着を預け頭に手をやる。くすっと笑いが零れたのは多分郁も堂上と同じ事を思い出したからだろう。
似たような押収を二人は過去にもしている。だが、立ち位置はあれから随分変わった。上官と部下から恋人へ、それから婚約者へ、夫婦へと。

框に上がり妻となった郁を抱き寄せてキスをする。二度三度と唇を合わせると抗議がわりにシャツを強く掴まれ、渋々堂上は身体を離した。

「もう、こんなとこで」
「新婚の定石だろ」

朝は一緒に出るからその分も今しただけだとしれっと答えると、郁はそれ以上反論せずに赤らめた顔を隠すようにキッチンへと引き返して行った。

「ごはん、もうすぐできるから」
「手伝うか」

少し上ずった声には気付かない振りをして妻の隣に立つ。

「あとお味噌汁だけだから大丈夫」
「ならよそってくか」

夕食の献立を聞いて棚から二人分の食器を取り出した。
夫婦揃って戦闘職種、それも特殊部隊隊員である。大きめの茶碗に山盛りに白飯をよそいつつ、堂上はお玉を握る妻の指先に目をやった。

現在の郁の爪先は式当日のものから二度変化して、現在第三形態である。分かっていた事とは言え、せっかくのネイルを惜しむ郁を見兼ね、柴崎がアレンジとリペアを施してくれたのだ。
当初のブライダル向けデザインから新婚旅行用に引っかけ易い石類を外しコーティングを強化した第二形態、そして仕事に支障が出ないように短く切り伸びた根本を塗って補修され、今の第三形態となった。

――訓練に差し支えないならもう少し凝ったもんでも良かったかもな。

かつては業務部女子の派手な爪に眉をひそめるばかりだった堂上が今は全く逆の事を考えている。郁の白く長い指には淡い色調が良く合っているが、華やかな色柄でもそれはそれで映えるだろう。

しかし程なく陽射しも強くなり、郁の白い肌にはメラニンが増殖する。日焼け対策を全くしていないわけではないようだが、それでも厳しい訓練を繰り返すうち日焼けは確実に免れない。
そんなことを斟酌しない郁だからこそ堂上は惚れたのだが、意外なところからふと郁が引き換えにしたものに気付かされる。これで良かったのかなど愚問も甚だしいし堂上が聞く事でもない。

「篤さん、どうしたの」
「いや、意外と似合うもんだと思ってな」

意外は余計だったかと言ってから気付いたが、郁は然程気にしなかったようで指先をを目の前にかざして目を細める。

「ずっと塗りっ放しも良くないからもうそろそろ落とさなくちゃならけないんだけどね」
「またやりゃいいじゃないか」

名残惜し気に見つめる妻の姿に堂上の口からつい甘い言葉が出た。

「あたしリペアとか出来ないし」

すぐボロボロになるだろうけど、柴崎に頼んだら次からは金取られちゃうと郁は苦笑した。柴崎ならやりかねない、頼まれ事はきっちりこなすがその分対価もきっちり取っていく奴だ。

「俺が塗ってやろうか」
「え、篤さんが」
「こんなもんプラモと一緒だろうが」

そう言って堂上は郁の手を取る。細い指に細い爪、細かい作業ではあるが要領はプラモデルの色塗りと同じだろう。プラモ作りは男の子なら一度は通る道、堂上も例外ではない。

「プップラモとかと一緒にしないで下さいッ」

語調を荒げた理由の半分は妙齢女子のオシャレをプラモと同列に扱われた怒りだが、もう半分が元来の器用さと凝り性でちょっと練習すれば郁より遥かに上手くなるさまがまざまざと目に浮かんだからとは言えなかった。

「まあその気になったらいつでも言え」

郁の心中を知ってか知らずにか堂上は手中の妻の手を口許へ引き寄せる。万遍なく唇を押し当て次は郁本体へと移ろうとしたところに、ボコボコと嫌な音が郁の更に奥から聞こえてきた。

「味噌汁……忘れてた」

郁の呟きは聞かなかった事にする。辛い味噌汁が夕食に添えられる事を覚悟して、堂上は郁の唇を捕らえた。

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終わりです。