一周年記念日/前編

*堂郁(革命後)



「そっかもうすぐ一年かぁ…」

折半で買った共用のカレンダーを一枚めくり郁が何気なくこぼした台詞に柴崎の眼底がギラリと光った気がした。

「ふうん、何がもうすぐなのかしらぁ」

何をか言わんや、郁の人生告白初成功、そして返事の代替品を貰って堂上と交際を始めたその日から一年、である。
柴崎の事だからどうせ何の事か判った上でのセリフなのだろうが、どう答えようがその先にはからかわれるコースしか見えてこない。返答に詰まる郁に柴崎は遠い目をして一人続けた。

「始まりからして普通じゃあり得ないし、あれからも色々あったし?あんたも大人になったもんよねぇ」
「変な言い方すんな!たいしたことしてないし、告白して返事の代わりにキスされたってだけじゃん」
やっぱりしっかりバレていたが、それはともかく、含みを持たせた言い方に郁が噛み付くと柴崎は口に手を当て大仰に驚いた仕種をした。
「病院の個室でキスした『だけ』なんて純粋培養ムスメも言うようになったのねぇ」
「そ、そんなつもりじゃないッ」

果てしなく郁の分が悪い。良かったことなど入隊以来一度たりともなかったしこの先も未来永劫ないだろうけど。
愕然たる先行きに気付いてしまった郁の胸中などお構いなしに柴崎は美しい顔をかしげ、長いまつ毛を揺らして郁を見上げた。

「一周年記念デートの為の買い物なら付き合うわよ、オプションでトータルコーディネイトなんかどお?」
ランチ一回に負けとくから、と報酬の提示も忘れない。
「いやデート、って約束すらしてないし」

堂上とは二人で幾つかのイベント事を過ごしてきたがバレンタイン、誕生日のような主要どころでない交際記念日を堂上が重要視しているかは疑問である。
付き合った日を覚えているかどうかも怪しいところだ。

「んーそういうところ頓着しないタイプかぁ、でもあんたが言えば喜んでセッティングしてくれるんじゃないのあの人は」
「自分から記念日デートなんて言えるかっ」
「またあ、普通にもうすぐ一年ねーとか言えばいいのに」

同じようにわざと驚いた振りをして「純粋培養はまだ健在だったのね」などとのたまった柴崎に郁が再び噛み付き、この話は一旦お流れとなった。



だが一旦どころか数日経ち、一週間過ぎてもその話題が堂上と郁の間で出ることはなかった。
覚えていないのか興味がないのか、そぶりすら見せない相手の心中を察するのは郁の最も苦手とするところである。

――もうすぐお付き合いして一年になりますね。

さらりと言ってみればいいのは分かっている。堂上の反応が薄ければ単なる雑談のひとつとして流してしまえばいいだけだ。
そう思っても堂上本人の耳に入ってはいないといえ、柴崎と一周年だの記念日デートだのと話題にしてしまった分、郁からは何だか言い出しにくい。
――やっぱり一周年とか気にしてないのかな。男の人ってそういうの興味ないって言うし。
郁自身の交際経験はなくとも女子同士のお茶や飲みではこのテの愚痴には事欠かない。男と女の認識のズレによる揉め事は散々聞かされてきた。
ただ、郁は彼女達がぼやいていたように奮発した食事やプレゼントを期待しているわけではない。一年という時間を二人で共有してきたのだという感慨に浸ってみたいだけだ。
付き合いたての頃を思い返したりなんかして……

――つかむしろ思い出したくないとか!?

ひとりうだうだと考えるうちに思っても見なかった可能性が降ってきた。
告白の前段階からして色々やらかした自覚はある。改めての告白、はまあいいとしてその後堂上の入院中、退院後など郁の失態やら特殊部隊の悪戯やら枚挙に暇がない。
付き合い始めの話題を出せば必然的に思い出されるそれらの事象に触れられたくないと堂上が思っていることは充分に考えられる。むしろ未来永劫しまっておきたいレベルかも知れない。

――うっかり言っちゃわなくて良かったかも……
人知れずささやかな胸を撫で下ろし、ひとまず自分からこの話題を持ち出すのは諦めることにした郁だった。



生憎その日は公休に当たらなかった。希望を出せばいいのにと小牧には言われたが、出せば隊にはバレバレだし、郁本人にもバレる可能性がある。
出さずじまいで運よく公休が当たるはずもなかった。
――とりあえず前もって当日の約束だけ取り付けりゃ何とかなるだろ。
公休前でなくとも外食することくらいは何度かある。それだけで不審がられることはないだろうと推測し、堂上はシフト表のある一点を眺めた。

――もう一年か。

長かったような短かったような。
晴れて郁と恋人同士になったその日へはちょうど一年程遡る。
一般的な交際への過程を経たとは言い難い。その後も一般的でない出来事はいくつもあったが、どうにか郁を手放す事態には陥らずに一周年を迎えられそうだ。
記念日などに濃やかな質ではない堂上だが、忘れたくとも忘れられない程のインパクトはあったし、公的書類その他諸々を付き合わせれば簡単に遡って日付の特定もできる。

いつもより少しいい店を少し前に予約した。郁に内緒にしたのはちょっとしたサプライズのつもりだった。郁から記念日の話題が出たらその時には打ち明ければいい、その程度の軽い気持ちだった。
しかし一ヶ月を切ってからも郁がその事に触れる様子は全くなかった。女性側が記念日などを覚えていて無頓着な男が怒られる、という構図が一般的というのが堂上の認識だったが、郁に一般的という言葉を当て嵌めるのはあらゆる場面で適切ではないのだろう。



結局その話をする機会は訪れないまま日は経ち、堂上が郁に約束を取り付けたのは例の日まで残り一週間のある夜だった。

「来週なんだが予定はあるか」
メールで郁を呼び出し官舎裏で唇を重ねた後、小声で尋ねる。
「公休前じゃないけどたまにはいいだろ」
「……え、その日って」
努めてさりげなく予定を聞いた堂上にまだ息の整わない郁は朧げな頭で言葉を返した。暗い中でもほんのりと頬が染まっているのが見える。

――なんだやっぱり分かってたのか。
実は……と種を明かすつもりが郁の表情が堂上には引っ掛かった。予想しなかった問い掛けへの戸惑いを差っ引くとしても少し妙だった。
迷い、困惑の顔だ。

「予定でもあったか」
「いえ、何でもないです」
堂上の危惧に反して郁は日付を復唱し顔をほころばせた。先程の表情はもうかすかにしか残っていない。

「一応外泊取っとけ」
「はい」
即答した郁に堂上は一度だけ長く強く唇を押し付ける。
郁の息が続く限界で唇を離し、「帰るか」とその場を切り上げた。



――あの顔はなんだったんだ。

郁とロビーで別れ部屋に戻ってからも何となく落ち着かなくて、堂上は冷蔵庫から買い置きのビールを一本取り出した。
いつもストレートでわかり易い郁には珍しい表情だった。約束したのが一年にあたる日だという事にはおそらく気付いている、食事自体が嫌だとか困るとかではなさそう、となると

――問題はそっちか。
記念日だと分かっていてその話題を避けたのは触れられたくないということか。決め付けるのは早計かも知れないが、迂闊に口に出す事もできない。
いわゆる「普通」の告白からは程遠い始まりだったし、その後のあれこれも「失態」と郁が認識している可能性は高い。
特殊部隊の連中の悪ふざけは別として、郁のやらかしたことなど今更気にしていないしそれらを引っくるめて今の自分達がいるのだと思っている。
とはいえ、郁が嫌がる話題をあえて持ち出すのもいかがなものか。

缶をすっかり空けてしまっても結局答えは出なかった。



――打ち明けるべきか打ち明けざるべきか。

探り合いにもならない気まずい思いをお互いに抱えたまま約束の当日はやってきた。

「お待たせしましたっ」
「早かったな」
待ち合わせ場所に郁が現れたのは堂上の目測より随分と早かった。
「急がんでもいいと言ってるだろ」
「服とかは前もって決めて、いやっ、何でもありません」

慌てて郁は言葉を切ったがそこまで言ったら全部言ったも同じだ。

「今のはナシでっ」
「そういう事にしといてやってもいい」
焦る郁が可愛くてつい口が軽くなる。意地が悪かったかもしれない。
めかし込んできているのは一目瞭然だし、前もって準備を済ませる程楽しみにしていたと知って尚更頬が緩む。

――やっぱり記念日を意識してると思っていいのか。
だがそれを口に出すところまでは行かなかった。普通こうだろうと予測される所の斜め上をきっちり刺していくのが郁だ。

「似合ってる」
一言そう言って、買っておいた切符と引き替えに郁の手を取り、改札へと向かった。



続きます。→後編